中国地方の当時は片田舎から(今でも田舎だろうと言う人はいますが)東京の大学の文学部に入学したぼくは、国分寺市恋ヶ窪の駅のホームに降りたところ。3月の終わりとは言えまだ肌寒い。

国分寺と所沢を結ぶ西武国分寺線で国分寺から2つ目。いまでは町の様相もすっかり変わってるけど、当時(今から30年以上前だから)は本当に何も無い小さな駅でした。

ホームから見る周りの風景は高い建物もなく畑が点在しています。線路の周囲には柵があるけどところどころ壊れて自由に入れそう。駅の改札も1か所。無人駅をちょっとだけ大きくしたような本当に小さな駅。東京駅について中央線に乗って国分寺で乗り換えてようやく着いた恋ヶ窪駅。初めて東京という地に足を踏み入れた僕にとっては非常に遠くて長い時間電車に乗ったという思いだけが頭の中を占めてます。遠いな~ 大学に通えるんだろうか?こんなところに寮がある?ちょっとばかり不安にかられてます。

ぼくこと斉藤は父親の勤務している会社が福利厚生の一環として運営している学生寮(物価の高い東京で安心して勉学に励むことができるよう水道光熱費や朝夕食の提供,寮母の常駐などを会社がおこなっている。入寮した学生が決して勉学のみに励んでいるとは到底思えないということは後から知りましたが)に入寮することになり、入学式の3日前に東京に若干の不安と大きな期待を持って上京してきたのであります。

「えーっと改札を出て左に曲がる。」寮の所在地を示した地図を見ながら歩き始めました。国分寺線の線路を渡ってちょっと歩くと目印になっている酒屋さんが(この酒屋さんにはいろいろとお世話になりました)

「ここを曲がる。曲がって公園の前に寮がある」地図には公園の前に大きく「ここ」と記されています。

ありました。公園の本当に前に

●●工業国分寺学生寮と記された門柱が。

建物は2階建 モルタル 窓はサッシュではなく木枠。全体的にグレーの色の建物です。薄汚れた古そうなアパート。2棟あって門にはいって右側の棟が1階に4畳半の部屋が5室 2階が6畳の部屋が4室 左側の棟は1階が食道と寮母さんの部屋。2階が6畳の部屋が3室。その2棟をトイレと洗面で結ばれている、ちょうどH型の建物になっています。そしてHの形の横棒の上に浴室があるという配置。金属製の外階段が建物の内側についています。2階にいる寮生は階段を使うことなく向かいの棟にトイレのスペースを経由して行き来ができるようになっています。階段の手すりをもって強くゆすると建物全体が地震が起きたかのように揺れる建物でした。

入ってすぐ右側の1階の部屋に「喫茶室」というプレートが掲げられています。

「喫茶室?」このプレートがあとからまた僕を悩ませるひとつでもありました。

左方向奥に食堂と書かれたドアが開けて

「こんにちは」

声をかけながらはいると、中は4人掛けのテーブルを3つ長手方向にくっつけたテーブルが。正面にはテレビ。なぜかその上に戦艦大和の大きなプラモデルがおいてあります。

「どなた?」右側から女性の声が聞こえてきます。たぶん寮母さん。

「今日からお世話になります斉藤です」

右方向を見ると調理場から小柄な女性が。僕の肩くらいまでしかない。眼がぎょろと大きくて少し前歯が前の方に出てる。髪はこんもりとパーマがかかっている。明らかに美人とは言えないし、じゃあ可愛いかというとそうでもない。ちょっと色の黒い、でも言いたいことは言いそうな感じの女性でした。

「斉藤君ね。荷物は届いているから部屋に入れておいたよ。今日は夕食の準備はしてないからね。明日の朝食を食べたかったらこの表に名前書いてマル印をつけておいて。いま寮長呼ぶから」

一気にまくしたてるようにしゃべるといきなり食堂の窓を開けて顔をだして

「武中~ 武中~」と大きな声を上に向かって。上から「は~い」と返事が。

「斉藤君が着たから降りてきて説明して」

「わかりました」

この会話が窓を開けて外に向けてされています。窓の外は庭というか空地というか 洗濯物を干すスペースがあって、その隣は民家が。こんな大きな声でしゃべると迷惑だろうなとふと思ってしまうような大きな声。

上の方でドアの開ける音と閉める音がして鉄でできた階段をカンカンカンと音をさせながら降りてきます。食堂のドアが勢いよく開けられ 寮長の武中さんがはいってきました。髪は肩まである長髪・黒ぶちの眼鏡をかけ Gパンをはきどてらを着こんでます。色白です。   喫茶室ってな~にへ